2014/6/23

「ガラガラガラ〜・・あ〜くずれちゃった   楽つみ木広場

「ガラガラガラ〜・・あ〜くずれちゃった もう少しで完成だったぼくのいえ、
 今度こそもっと丈夫ないえにする
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 ガラガラガラ〜・・・
 くやしい気持ち、悲しい気持ちがあふれてくる
 でも、負けないぞ〜
 今度こそもっと大きくて、壊れない頑丈ないえ
 どんな事があっても崩れない家をぜったいぜったいつくるんだ
 そして街をつくるんだ・・ぜったいに
 いつでも笑っていられるあたたかい家、安心して暮らせる街
 だって・・・平和な街の建築家は、ぼくの将来の夢!
 それが未来の僕の姿なんだ!!」
「どこまでも高く、
 どこまでも長く、

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 ひとつ、ひとつは小さいけれど・・
 ぼくが積んで、私が積んで・・みんなが積んで・・
 どんどん大きくなーれ、どんどん長くなーれ、どんどん・・どんどん・・
 そしたら道ができる、まちができる
 そして・・こころがつながる
 心地良いひのきのかおりが漂いながら心地良い、人とのふれあい
 ずっとずっとつないで・・ずっとずっとずっと・・・
 ぼくたちの未来へつづけ・・どんどん、どんどん
 ちいさなつみきがどんどん、どんどんおおきくなる
 ぼくらのゆめとおんなじ・・どんどんどんどんおおきくなる
 ぼくらもどんどんどんどんおおきく、希望もどんどんどんどんおおきくふくらむ
 だいすきなだいすきなつみきはゆめや希望を運んでくれる
 未来へとつづく・・
 そして・・・。
 人と人とがつながる・・楽つみき
 いつまでも大事にしたいな・




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2014/6/17

月組の子どもたちとは  楽つみ木広場

月組の子どもたちとは、つみ木おじさんが来て頂けるとわかってから、「どんな人なんだろう」と期待で胸をふくらませて楽しみに過ごしてきました。
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「きっとおひげが長いんだよ」「下まであって床についたら2つにわかれていると思うな」
「どこから来るのかな」と可愛らしい声がたくさんありました。


そして迎えた当日は、
赤いじゅうたんとその周りのお父さんお母さんに嬉しさでいっぱいな様子でした。
つみ木のシャワーからスタートで、いつも遊んでいるつみ木が自分にかけられるなんて予想もしていなかったことでしょう。木の香り、身体全体で触れ、つみ木に親しむ姿、子どもたちの五感を刺激してのつみ木遊び学ばせていただきました。

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「親子で遊ぼう」なので、親子で一緒に作ったりするのかな、と思いきや、子どもの作る物には口を出さず、親も親同士話しあったり、作ったりする中で、子どもに戻ったように遊ぶことができた時でした。

最後にあれだけひとつになって、できあがった世界を見ると、親(大人)には、大人のよさ、子どもたちには、子どものよさがあり、一緒に作らない理由を少し感じました。

なんと言っても子どもの作る物には、ユーモアがあったり、可能性を感じ、とても魅力的でした。私もそうですが、大人はどうしても形を考えたり、頭で完成図を想像して作り始めていますが、子どもたちは手が先で、作りながら形を変えていきます。

子どもならではの感性だなとうらやましく思います。大人の手や口が入らないからこその表現でした。

ただ、生活の中でつみ木遊びをしていたときに、3つの違う形を組み合わせて遊ぶこと、もっと声をかけていればよかったなと思いました。1つの形だけでなく、違うものを入れることでの面白さや可能性、今回とても感じました。

また、私は「頭で考えすぎだ」と言うご指摘を頂き、はっとさせられました。固定概念でったり、概念があることは、私の最大の弱点なのです。つみ木にも現れてしまった。

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と反省で、お声をいただいてから、いろいろ置き方を変えて試してみたり、ただ思うままに積んだり、くずしたりと繰り返して作ってみました。近くにいた子どもたちにヒントをもらったり、見て学んだりと充実した時でした。



台形のつみ木が、いろいろな置き方ができると身体で感じた時、なんだか固まっていたものが少しずつ溶けていくようなそんな感覚がしました。

これは日頃の保育にも通じて考えられる部分であると思います。クラスの中でも大人は私一人なので、私の感性で声をかけ、生活をしています。

それは裏を返すととても怖いことです。私がいいと思ったことや、子どもを見る目が固まっていたら、よいものを見落としてしまうからです。

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自分の感性や感覚がすべてではなく、つみ木遊びの様に色々と試し、工夫し、考えることが、新たな発見や可能性を広げることにつながっていくのではないかと思います。多方面から見ることを心にとめ過ごして参ります。


そんな当たり前だけど大切なことに改めて気づかせて頂き感謝です。

子どもも、親も、保育者も、思いっきり遊んだと思える一日で、その中から遊びの魅力、子ども

の力、大人のあり方、様々なことを感じることができました。ありがとうございました。

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2012/9/26

親子ふれあい参観 つみ木広場を終えて  楽つみ木広場

親子ふれあい参観 つみ木広場を終えて

 この度はお忙しい中、そしてこの無謀なお願いにも応えていただ
きまして、本当にありがとうございました。
 前年度は期待で興奮していましたが、今年度はとにかくハードス
ケジュールの上、年少組(3歳児)の参加が未知なプログラムだっ
たため、少し不安で緊張しておりました。


しかし、そんなことを悩まなくても、子どもたちはあの3種類のつ
み木に夢中になり、あっという間に時間は過ぎて行きました。

年長・年中組はもちろんのこと、年少まで夢中にさせてしまうこの
つみ木には本当に驚き、そして、つみ木おじさんの子どもたちに接
する情熱が感じられた一日でした。



 昨年度末に、3千個のつみ木をいただき(父母会購入)、4月か
ら毎日のようにつみ木で遊んでおります。
毎日の様子を観察していますが、子どもたちは積んでは崩し・崩れ
、また積んでは崩し・・・その繰り返しです。そしてお終りには、
部屋の片隅にある一個のつみ木をも逃さず拾い集め、言われなくて
も片づけをしています。

なぜだろう?ゲームやテレビ、既成のおもちゃなど、子どもたちの
周りにはあふれんばかりの遊び道具はあるのに、すぐに飽きてしま
い、次のものに気うつりして行くのが実情です。

それなのに、このつみ木遊びは、そのような姿が見られません。今
日、このつみ木広場を少し離れた立場から観察し参加し気付いたこ
とがあります。

つみ木広場には「こうしないといけない」「こうならないといけな
い」というような答えが決まっていないのです。

3種類のつみ木を使い、高く積んでもいいし平らに繋げてもいい、
ぐちゃぐちゃでもまとまれば何かに見えてくるのです。

ゲームにはゴールがあってもクリアすればそれで終わりです。でも
、つみ木遊びには正解も決まっていないしゴールもない、無限の遊
び道具なのだということがわかりました。

そして、友達や家族と一諸に楽しめる体験が出来るのです。

そして、その中には、考える力、協力する力、人を思いやる気持ち
等、様々な力を身に付けることが出来るのです。

それが絡み合って、子どもたちに心地の良い遊び・経験となってく
るのでしょう。だから毎日でも、何回でもつみ木遊びに夢中になる
ことが出来るのだと、感じました。


 今後は子どもたちにも、つみ木遊び以外でも、この心地良い経験
が出来るような保育や遊びを共に見つけていきたいと思います。


また、今日の感動を忘れず、つみ木遊びを続けていきたいと思いま
す。
 この度は、本当にありがとうございました。クリックすると元のサイズで表示します
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2012/4/24

2012年4月25日明日原点に立ち返って  楽つみ木広場

2012年4月25日明日原点に立ち返って

小児病棟内プレイルームにおける「楽つみ木広場』再開

継続的に毎月1回楽つみ木広場をひらいて、入院中の子どもたちに

つみ木遊びを楽しんでもらってました、が昨年10月から院内でインフルエンザなどの予防のため長いこと、中止をしていました。

明日また再会して子どもたちの喜ぶ顔が見れます。

木楽舎つみ木研究所オールスタッフで出掛けます。

楽つみ木広場イン小児病棟で第1回目の原点に立ち帰って
もう一度触れ合う楽つみ木広場を参加者全員で分かち合いたいと思います。


以下の文章はアートミーツケア学会3号に発表したレポートの一部です。

2008年4月17日に第一回目の小児科病棟での「つみ木広場」が実現した。


日頃、幼稚園・保育園や様々なイベントで接する子ども達では元気さに隠されてしまってあ

まり感じられない優しさのある子ども達との触れ合いは当研究所のスタッフにとって非常に

新鮮で、積み木の持つ力をいつも以上に感ずることのできた「つみ木広場」となった。

また、小児科病棟のスタッフにとっても、子ども達の積極的な取り組みや子ども達同士の触

れ合いなど日頃の病棟生活では得難い貴重な機会であり、何よりも子ども達が作り上げた作

品の素晴らしさから病気の有無に関係なく子ども達が持つ潜在的な力を感じ取ることができ

たという。こうして、小児科病棟で「つみ木広場」を定期的に開催する意義が確信され、ま

さに記念すべき第一回目となった。以来ほぼ月1回のペースで開催を続けて、2010年10月まで


に29回を数えている。



明日で38回目になります。


明日中止にならないように祈ります。


貴重な機会を下さった、医局の先生、楽つみ木のお話しを医局の先生に伝えていただいた

看護科の先生に改めて感謝です。




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2011/11/8

「支え合う」ということ  楽つみ木広場

 3.11がおきた今だからこそ、改めて皆さんにお伝えします。

 2008年8月11日に東京国際フォーラムで行われた「楽つみ木」シンポジュームで。朝日新聞天声人語を長く担当されていた、辰野和男さんがお話しされた記事をご紹介させていただきます。



            「支え合う」ということについて。


 荻野さんの積木の仕事を見て、いつも思うのは「支え合う」ということの大切さです。

 荻野さんは、東京駅前の旧丸ビルが解体されるとき、ビルを地下で支えてきたオレゴンパインの材木を譲り受け、それで丸の内のビル街に置くベンチをいくつも作りました。

 さらに、無数の積み木を作られました。私はその話を聞き、取材するために山梨の荻野さんの仕事場を訪ねました。7,8年前になります。

 アメリカ・オレゴン生まれの5,443本の材は、異国に運ばれてきて、長い間、異国の巨大な建造物をしっかり支えてきてくれたのです。荻野さんの仕事の核にあるものはこの「支える」「支え合う」という動詞だと思っています。

 積木というものも、この「支え合う」という動詞によって成り立っているものでしょう

○どんな積木も、一個では形は創れない。積木はお互い支え合うことで生き生きとしてきます。 

○縦に高く積み上げるときも支え合っているし、横の並べるときも実は、支え合うことで何  かを創りあげているのです。

 私たちは、いまの時代、特にこの「支える」「支え合う」ということを真剣に考えなければならないと私は痛感しています。

 昨今の世の中は、支え合うのではなくて、「切り捨てる」ことが主流です。年寄りを切り捨てる。障害のある人を差別する。弱い人をいじめる。スキャンダルを見つけては、その人を叩く。支え合うことは少なくて、切り捨てる、排除する、いじめるということが主流になっている。
 
 話は飛びますが、私は今まで、三回、のべ百五十日以上、四国のへんろ道を歩いてきました。このごろは年寄りだけでなく、若い男性、女性の姿が増えています。
若い人の多くは、八十八番目の結願寺まで歩いて来て、最後の般若心経を唱えながら泣いています。

 なぜなのか。

 それは、自分が四国の方々に支えられて歩いてきたことに思いをはせるからです。

 はじめは、自分の力だけで千数百キロを歩き抜くという思いで出発します。しかし苦しい道が続く。足が痛む。腰が痛む。もう嫌だと思う。そんな時、この人たちを支えてくれるのが、土地の方々のお接待なのです。

 「お遍路さん、大変だなあ」と言ってミカンをくださる。お茶のボトルをくださる。昼飯を御馳走してくれる。お風呂をたいてくれる。これはみな慈悲の心です。そういう人の情けに励まされてやっとここまで来られたと思う。
 
 それが結願寺の涙です。歩き接待をいただくことで、へんろ道には、「支える」「支えられる」という人間関係が今も生きていることを学ぶ。

 自分はひとりで歩いているのではない、皆に支えられて歩くことができているのだと思う。

 つまり、「切り捨て優先」という生きにくい世の中に生きて、心に傷を受けた人々、とくに若い人が「お四国」に来て、支えられていることの喜びを味わう。それがお遍路なのです。

 お遍路は確かに「支え合う」ことの大切さを教えてくれますが、そうたくさんの人が四国に行けるわけではない。

 でも、積木はもっと日常的にたくさんの人が参加できして、この「支え合い」をごく自然に体感することができる。

 私がいいたいのは、荻野さんがされている木楽舎の運動は、巨大なビルを支えてきた古材を活用することからはじまり、いまなお積木の形になって「支える」「支えられる」ということの大切さを教えてくれている文化運動でもあるということです。

 言葉ではなく、子どもも大人も、積木を通して「支え合う」ことの心地よさを体で味わうことができるのではないか。そんなことを考えています。

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